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河井 継之助からの伝言
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32 河井 継之助(かわい つぐのすけ)1827〜1868
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長岡に生まれる。江戸時代末期の越後長岡藩士。
佐久間象山、斎藤拙堂に経学、兵学などを学び、
藩主牧野忠雅ら3代に仕えて、長岡藩の政治改革を努めた。
慶応3年の戊辰戦争では、上席家老として中立を唱えたが、
官軍岩村参謀に妨げられて交戦となり、
重症を負い会津に向かう途中で死亡した。
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注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント
■ 人間と言ふものは棺桶(かんおけ)の中に入れられて、
上から蓋(ふた)をされ釘を打たれ、土の中に埋められて、
それからの心でなければ何の役に立たぬ。
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◇8月9日未明に関西を直撃した台風10号が過ぎ去った翌朝、熊野へ向かい
ました。指折り数えてみたらこれで今年5回目の熊野です。
友人に借りた車に5人が乗り込み、運転手はぼく。今年から何度か友人の車
を運転させてもらっているのですが、10数年間ハンドルを握ったことがない、
いわゆるペーパードライバーです。が、20代はじめ頃はかなりの距離を運転
していた車マニアだったので、感覚を取り戻すにはそれほど時間はいりません。
熊野に着く頃にはすっかりベテランドライバー?となっていました。
今回の熊野もよかった。濃かった。那智の瀧から原生林を30分ほど、沢を
歩きながらたどり着いた二の瀧。那智の海、混浴温泉等々、おもしろい体験が
たくさんありました。その中でも一番刺激的だったのがラフティング。北山川
の激流をゴムボートで下ります。紀伊半島でラフティングとしては一番激しい
川だそうです。
* * *
この日は台風の直後ともあって、水量はいつもより10センチ高いとか。た
かが10センチと思いきや、これだけ違うと川の凶暴さは何倍にも増します。
北山川でラフティングをするには条件があります。この川はもともと筏で材
木を運ぶために使われており、上流のダムの水門を開け、その流れを利用して
筏を下流に流す。その合間をぬってラフティングをします。この日は筏さえも
流すのを中止しているほどの水量とか。
ぼくたちをラフティングに誘ってくれたBさんはこう言いました。
「毎年1人はここのラフティングで死にます。交通事故でも年間1万人死ぬ
ん
だから、これは自然です。今日のように水量が多い日にラフティングするのは
ぼくも初めてなので、みんなもよほど気をつけてください。」
死と隣り合わせ・・・。
同行した7名(男5名、女2名)は1人を除いて全員素人。この言葉に正直
びびってしまいました。よりによってこんな危険な日にラフティングをしなく
ても・・・。皆がそう思ったに違いありません。今日は中止しましょう、の一
言を待っていましたが、「それじゃ、落ちたときの練習をしましょう」と言わ
れたとき、ぼくたちは観念しました。
5月に熊野を訪れたときにBさんからラフティングのことを聞いていました。
「ラフティングっていいよ。いい体験になる。激流に臨んだら、痛いとかつら
いとか、嫌だとか体調が悪いだとか、そんなこといってられない。真剣勝負だ
からね。ラフティングは格闘技だから。」
格闘技を観るのは好きですが、痛い思いをして戦うのはぼくの性に合ってな
い。ぼくは他人事のようにすごいですねえと、その時は空返事しておきました。
ところが、その激流にこれから臨もうととしている。それもかなりの強敵。
ぼくたちは落ちる練習、落ちた仲間をボートに助け上げる練習をしばらくし
ました。そしてBさんの「そろそろ行きましょうか」の声に、激流に向かって
オールをこぎ始めました。イッチニ、イッチニ・・・。
激流が見えてきた。ゴーと凄まじい水音をたててぼくたちを待ちかまえている。
* * *
Bさんが言いました。
「ラフティングは格闘技です。流れに負けると投げ出される。流れに挑んで相
手を叩きのめすくらいの気合いがいるんだよ!」
ぼくたちは、オーと雄叫びを上げながら激流に挑んでいった。「漕いで!漕
いで!漕がないとカジをコントロールできないから」と、Bさんの声。ぼくた
ちは必死でオールを漕いだ。バッサーン、すごい水しぶき。Bさんが叫んだ。
「ダウン」。ダウンとはボート内に身をかがめること。ボートは二つ折れにな
り、上下に飛び跳ねながら激流を下っていく。ぼくの後ろにいる女性の足がボ
ートの隙間にはさまっている。危ない状態だったが、なんとか抜けたようだ。
ひと波こえたところで全員は体制を整え、さらにこぎ続ける。ボートを漕ぐ
ときの体制は、ボートの中ではなくてボートのフチに腰を下ろした状態。この
状態でないと漕げない。その分、落ちる危険性と隣あわせ。
幾度となく挑み、戦いながら、最初の激流を制覇しました。ボートを見渡す
と誰も落ちていない。オー、と雄叫びを上げ、オールで水面を叩いて喜び合い
ました。Bさんはボートの隙間に足を挟まれた女性に、「今のままボートが転
覆してたら、死んでたよ。危なかったね・・・」
次の瀬までしばらくゆるやかな流れが続くとのこと。みんなで水面に飛び込
み、ライフジャケットに身を任せぷかぷか浮かびながら流れを楽しみました。
* * *
それから、いくつか瀬を抜け、お昼休み。ボートを岸に着け、おむすびを食
べました。うまい!
そこに5メートル弱の岩場があります。みんなで飛び込もうということにな
り、順番に岩場の上に立ちました。性格や臨み方がよく現れておもしろいです
ね。躊躇してなかなか飛び込めない人、悲鳴を上げながらもすんなり飛び込む
人、頭からかっこよく飛び込む人。ぼくは何にも考えずに、空のまま飛び込み
ました。
このとき参加していた一番年輩の男性Hさん。極度の高所恐怖症。最初から
岩場にさえ近づかない。その恐がりようが普通でないので、誰も飛び込むこと
を勧める人もいませんでした。ひととおり飛び込みも楽しんで、さあ、と片づ
け準備にとりかかろうとしたとき、Hさんがすっくと立ち上がって、「ぼくも
飛び込むよ」。え?嘘でしょ?
Hさんは岩を登り始めました。本気? 周囲の心配を背に、頂上へすっくと
立ち上がった。が、足がぶるぶる、凄い震えています。Bさんが言いました。
「3秒以上経つと飛び込めないから。下を見ずに前を見て、遠くに飛んで。近
くに飛ぶと岩にあたるからあぶないよ。」
2、3回躊躇したあと、可憐に遠くに飛び出した。ずいぶんきれいなダイビ
ング。今でも空中を飛び、水面に向かっている勇姿が瞼に残っています。すご
い! Hさん最高!みんなの拍手が響き渡りました。
* * *
僕たちはふたたびボートを出しました。遠くの方からゴーという激流の音が。
ああ、こんどの激流もかなりのもの。一行は身構えました。いくぞ! オー!
ボートは勢いよくつっこんでいく。が、半回転して岩に引っかかる。Bさん
が「前後入れ替わって、すばやく」。ぼくたちは激流のど真ん中でとんでもな
い体制。「ほんと、ここで落ちたら大変だよ。気をつけて」とBさんの檄が飛
びます。ようやく体制を取り戻しボートは勢いよく流れ出します。
しかしここでまたもやボートが乗り上げる。こんどはどうしても動きません。
Bさんは仕方なく、全員岩の上にあがるように指示しました。いつもにこやか
なBさんの顔が鬼のような形相になっています。その顔を見て、ぼくたちがど
れだけ危険な状況にあるのかを察することが出来ました。引っかかったボート
をなんとかはずし、「全員早く乗り込んで」の指示に、必死で乗り込む。ボー
トは凄い勢いで流れていきました。
激流にもまれながら、ようやくボートは緩やかな流れに身をおき、一同安堵
の表情。ああ、ほんと危なかったね。それにしても無事で良かった・・・。
こうしていくつかの瀬を乗り越え、最後の急流は全員、水面に飛び込み、ラ
イフジャケットのまま臨みました。これもまたスリルがいっぱい。お尻をしっ
かり浮かべていないと岩にぶつけてしまいます。こうして、すっかり水と仲良
くなった頃、ラフティングはゴールに着いたのでありました。
今回の、約4時間に及ぶ格闘技は、ぼくたちの圧勝に終わりました。振り返
ってみると、誰も一度も激流に落ちなかった。すごいことです。よほどみんな
気合いが入っていたから。誰も激流をなめなかった、真剣に立ち向かった。だ
からだと思います。
* * *
夕方、宿に戻ると、熊野で生まれ育った木削りヨウさんという人が来ていた
ので、木削り教室をしてもらいました。なかなか手に入らないいろいろな土地
の木ぎれを並べてくれて、好きな木ぎれを選んで、自分で削ります。削ってい
て引っかかったら、逆から削る。木が削って欲しい、なりたい形を聞きながら
削ります。
ぼくが選んだのは樹齢5000年の縄文杉。他の人も同じ木を選んで気持ち
よく削っているのに、ぼくが選んだ木は超くせ者で、どちらからも削りにくい。
他の人たちは削りおえて、ペーパーをかけています。ぼくはまだ削っている。
ヨウさんが言いました。これはペーパーをかけずに、このままがいいねえ。
穴を空け、麻糸を通し、ビーズで飾り、ペンダントにしました。すごくいい
のができた。苦労して削ったので、縄文人の気持ちがわかった。この作品に
「縄文生活」と名付けました。ビーズは、大地と水と太陽と緑と獣の毛皮をイ
メージしたものを選んで。
ヨウさんが言いました。「気に入った作品が出来たら、しばらく自分で楽し
んで、人にプレゼントしてください。気に入ったものを人にあげることで、ま
た新しいものが巡ってきます。」
それから数日後、岡山でお世話になっている女性のIさんに会いに行きまし
た。彼女の娘さんが一緒にいたので、その話しをして、そのペンダントをプレ
ゼントしました。ぼくのところには4日間だけいました。
激流ですっかり洗い清められ、現代人だったぼくは一度死んだように思う。
縄文人になったつもりで木を削り、縄文生活がこの日から始まったようなそん
な心境を味わった一日でした。
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