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黒住宗忠からの伝言
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45 黒住宗忠(くろずみ むねただ)1780〜1850
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江戸後期の神道家で黒住教教祖。備前国御野郡の今村宮の禰宜(ねぎ)で、
天照大神を祀り、陽気修行を説いた。
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注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント
■ 天照らす神のみ心ひとごころひとつになれば生き通しなり
※すべての人や物の中に、すでに完璧なるものが存在している。
それを明らかにするのが、人のお役目です。
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◇自宅から10分ほど車で走ったところにある吉備津彦神社にお参りして、その
帰り道、西の空を見上げると、あまりにも夕陽がきれなので、神社の山の裏手に
あたる神道山に車で登ることにしました。ここは黒住教本部があるところです。
この日の夕暮れは、柔らかな春を思わせる、なんとも温かい夕陽でした。
■黒住宗忠
こんなところに黒住教の本部があったのか、と知ったのは昨年のことでした。
黒住宗忠という人が江戸時代にいて、太陽を見て悟ったことなどを本で読んで、
とても興味のある偉人の一人として頭の片隅に存在していました。
教祖の黒住宗忠は神職をつとめる家に生まれましたが、33歳の時、かけが
えのない両親を流行病で1週間のうちに相次いで亡くし、その悲しみがもとで
不治の病といわれていた肺結核にかかり、2年後には明日をも知れない状態に
おちいり、死を覚悟。
ある厳寒の朝、朝日を拝んでいるとき、両親に親不孝していたことに気づき、
両親が安心する人間に立ち返らねばならないと強く心を入れ替えました。それ
をきかっけに生への祈りによって、宗忠の暗く閉ざされた心は陽気になり、2
ヶ月あまりで不治の病は完治しました。
文化11年(1814)11月11日(旧暦)の冬至、この日は「一陽来復」
と称されていますが、その朝日を拝んで、万物(宇宙)の親神である天照大御
神と一体の境地に立ったといいます。
もともと、岡山市上中野にある大元という地が宗忠の生誕地でしたが、昭和
49年に都市化の進んだ大元を離れて、神道山に遷座しました。
ぼく自身、ひとつの教えや組織に縛られるのはまっぴらごめんな自由人です
が、黒住宗忠という人物を前々から尊敬していました。ああ、こんなすばらし
い人がいたんだ。それも同郷に。ということで、いつしかその地を尋ねてみた
いと思っていました。
太陽(神)を見たという人は数かぎりなくいますが、太陽すなわち天照大神
と一体になった人は限られています。
天照大神とは、イザナギの禊ぎによって産まれたとされています。その弟に
スサノオがいます。この二神の関係を簡単にいえば、スサノオは「体」をあら
わし、天照大神は「霊」をあらわします。スサノオは人間の五欲煩悩をそのま
ま演じる象徴であり、天照大神は本心良心ともいうべき本体です。
スサノオのすさまじき思いを果たさんとするエネルギーは、天照大神の本心
良心と一体になることによって、大調和、大表現のはたらきとなるわけです。
スサノオのエネルギーと完全なる表現主である天照大神のコラボレーションに
よって、はじめてオリジナルの新しい最高表現が産まれます。
天照大神を簡単にいえば「光の光源」
スサノオを簡単にいえば「現象界」
映画はスクリーンに投影されたものが映像として展開しますが、それは映写
機によって発する光によって映し出されるようなもの。
光の担当がアマテラス
映像の担当がスサノオ
霊界の担当がアマテラス
現象界の担当がスサノオ
どちらもあってはじめて神の最高表現が完成されるのですね。
スサノオも天照大神も特別な存在ではなく、すべての人や物が、スサノオで
あり、天照大神です。ただ、スサノオが前面に出て天照大神と一体になりきれ
ていないのが、今の地球です。
これからは天照大神が前面に出てくる時代といわれています。
■計り心なく
これはぼくの考えですが、宗忠が悟ったのは「計り心がない」という心境だ
った。計り心がないというのは、天照大神そのものを生きるということです。
天照大神は何かを産み出す神様というよりも、すでにすべてを有している完
璧な最高表現の姿です。最高の姿というのは光源そのもの。
すでにすべてがあるのですから、計り心はいっさい必要なくなります。
しかし計りたくてしかたがない心がある。それがスサノオ、というか人間の
思いというものです。思いは雲で、太陽をさえぎってしまうわけです。
人間の心は晴れたり曇ったり。あるときは快晴の心と思いきや、気をゆるめ
るといつしか黒雲におおわれてしまいます。それをずっと繰り返してきた。
宗忠がたどり着いた境地というのは、太陽と一体になった。太陽そのものに
なってしまえば、曇ることはなくなります。これが悟りという境地です。
この地上に、理想郷を実現するためには、スサノオの実現するエネルギーが
必要です。その凄まじきエネルギーは、天照大神と一体となることによって、
すばらしい現実を産み出すことになります。
これは他人事ではなく、一人一人の中にその働きがあり、その役を演じるわ
けですから、覚悟しておきましょう。それぞれの中に宿る天照大神とスサノオ
が今を創り上げているのですから。
■木削り
「計り心」ということについて、ぼくの体験をひとつ。
2月に大阪で木削り教室に参加したのですが、このとき直感的に選んだ木は
水没していた樹齢5000年の神代杉。
木が成りたいカタチを、その声なき声を聞きながら削ります。引っかかった
ら逆から。これは以前にも書いた覚えがあります。
割れ目切れ目もチャームポイントです。そして素敵なペンダントが出来まし
た。いつかテレビの映像で見た、精子と卵子が結合し、子宮内で成長する過程
に生じる魚のようなカタチにそっくり。
このペンダントに「いのちのはじまり」と名付けました。
これに味をしめてしまった。今度は自分でやってみようということで、マイ
ナイフ、サンドペーパー、蜜蝋ワックス、ペンダントを作るときのヒモ、ビー
ズなどを揃えました。
各地を旅することが多いぼくはいつも木削りセットを常備。その地で拾った
古木を削っていろいろな作品を作ります。
岡山では、吉備津彦神社、星神社、熊山遺跡など、あと、徳島、熊野、大台
ヶ原、それに友人が沖縄に行ったときに持ち帰った木ぎれなど、いろいろ削っ
てみました。
普通、作品を作るときは、人のイメージがまずあって、そのカタチに近づく
ように削っていくのが普通ですが、ぼくが教えてもらった木の削り方は、木が
成りたいカタチを、木と相談しながら削りますから、削ってみないとカタチが
わからない。
何個も作っていると、だんだんと分かってきたのが、その土地に流れるエネ
ルギーによって、その木の持つ特性があり、丸くなったり、鋭くなったり、そ
ういうものが確かに関係しているように感じます。
ぼくは産婆さん役に徹します。産婆さんは産み出るのを少し手伝うだけです。
ただ無心に削るだけ。引っかかったら逆から。木の成りたいカタチに。
友人、知人たちやその家族にも木削りを一緒にやってもらうと、ほぼ全員、
木削りにはまってしまいます。みんなマイナイフを購入して、暇があれば木を
削っているようです。
何か作品を作らなければならない、となると固くなってうまくいかない。で
も、木が成りたいカタチに削ってあげる、という前提ではじめると、すんなり
と作品ができるみたいなのですね。
ある子供に、「これどうしたらいいと思う?」と聞かれたので、
「木に聞いてみて?」とアドバイスします。
その子は、木を耳に当ててしばらく耳を澄ませ、
「もう少し削って欲しいって言ってる」と言って作業を進めていました。
「木が成りたいカタチになったら、木がもういいよって言ってくれるからね。
そしたら蜜蝋ワックスを塗って仕上げようね」
昨日も自然農で苗代づくりのお手伝いに行ったとき知り合った小学校一年生
の女の子とそのお母さんと一緒に木削りをしました。女の子は大台ヶ原の木で
ペンダントを、お母さんは熊野の下里の浜で拾ってきた流木を選んでオブジェ
を完成させました。どちらもすばらしい作品です。
ぼくが作った作品は、ふさわしい人が現れるまで自分で愛用しますが、その
人が現れたらプレゼントします。気に入った作品を手放すのは惜しい気持ちも
ありますが、手放すことによって、また新しい作品が天からのプレゼントとし
て与えられます。
木削りをしていると、こうしてうだうだと文章を書くのが面倒になってきま
す。木削りは「計り心をなくす」いいトレーニングにもなります。
相手を何とかしてやろう、ではなくて、相手がどうして欲しいのか。これは
人間関係にもつながります。もっと相手のことをよく考えて発言したり行動す
ることが、大切なのではないかと、ぼくはそう思うのです。
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