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中村天風からの伝言
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中村 天風(なかむら てんぷう) 1876〜1968
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本名 三郎。明治9年7月30日 旧東京府豊島郡王子村(現北区)生まれ。
30歳の時奔馬性肺結核発病。救いを求めて米、欧を巡るも回復せず日本への
帰路、ヨガの聖者カリアッパ師に奇遇。ヒマラヤのカンチェンジュンガで行修
。大正8年突如感ずるところあり、社会的地位、財産を放棄し「統一哲医学会
」を創設。政財界の有力者が次々に入会。昭和15年1月同会を「天風会」と
改称。昭和37年4月公益法人に改組。昭和43年12月1日帰霊享年92歳
。著書『成功の実現』『盛大な人生』『運命を拓く』など多数。
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注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント
■ 積極的な言葉のみをつかって生きている人が多くなれば、
この世は期せずしてもっと美しいりっぱな世界になる。
だから、どんな場合があっても、
消極的な言語表現をしないように気をつけなさいよ。
◇生まれてこの方、言葉というものは水や空気同様に、
あって当たり前、使い放題だし無限にある、
そう思っていたのですが、よくよく考えてみると、
これほど私たちの人生を左右しているものはないように思います。
私たちは言葉によって愉快にもなれば不愉快にもなる。
あげくの果てには人間の幸、不幸までをも左右する、
使い方によれば人を殺してしまうほどの凶器にもなります。
昔から言霊(ことだま)信仰というものが日本中どこにでもあったようで、
言葉に魂が宿るという考え方です。
いい言葉をいえば幸せになるし、
悪い言葉をいえば不幸がやってくる。
これを日本人の迷信がつくった信仰だとみんな思っていますが、
たしかに言葉は人間の存在に大きく影響を与えているものです。
聖書にある「はじめに言葉ありき」という言葉は有名ですが、
これは思念(思い、想念)は「言葉」であり、
「言葉」は創造主であるということです。
私たちの日常の思考を考えてみればわかりますが、
まず、「ハッ」もしくは「フト」思います。
「ハッ」と思った次の瞬間、必ず「言葉」が生じるはずです。
「これはやばいかもしれない」とか「これは行けるぞ」とか、
必ず「思念」はイコール「言葉」となってこの世に生まれ出ます。
この世に生まれ出た言葉は、その瞬間は消え去ったように思えますが、
実は、ある波動としていつまでも存在し続け、
私たちに良くも悪くも影響を与えています。
ですから私たちは「言葉(思念)の波動」の中で生きていることになります。
現代はメディアの発達とともに瞬時に言葉を発信することができる環境が
急速に整いつつありまが、
その分、情報の影響力というものもすさまじいものがあります。
よい言葉ばかりを発信していれば、この世は期せずして善き思念に満たされ、
その結果として調和に満ちたすばらしい世界が実現されます。
ところが現代のメディアは、かなり歪んだ自己中心的な、
他の秘密を暴露して楽しむという、
とうてい人間として人間らしからぬ情報が蔓延しており、
こうした歪んだ波動がこの世に満ち満ちています。
その中に私たちは存在しています。
ちょうど私たちは、歪んだ情報という泥水の中に住んでいるといえます。
ですから、悪意があろうとなかろうと、
放っておけばその泥水に染まらざるおえません。
そこで、これから発信されてきた情報について、
できうる限り、消極的で歪んだ情報(言葉)を避ける必要があり、
そして善い情報(言葉)にできうる限り接することが大事です。
しかし、それだけではどうしようもない。
泥水の中に私たちは生きているのですから。
そこで、泥水の中に咲く蓮(はす)のごとく、
泥水から自己を守り、自己を清める方法を身につけることが必定です。
その一つの方法として「言葉」の力を借りて、
自己を清めることができます。
言葉は創造主だからです。
その中でも最たるパワーを秘めている言葉は、
「ありがとう」ではないかと思います。
「ありがとう」は「有り難う」、文字どおり「有り難い」、
滅多(めった)にないという意味です。
私たちが通常使っている「ありがとう」という言葉は、
「儲けさせてくれてありがとう」とか「得をしたからありがとう」とか・・・、
たいていは自己の欲求を満たしてくれたときに使うことが多いですが、
真の「ありがとう」はもっともっと深いところにあると思います。
私たち人間は、実は、この「ありがとう」を悟るために存在しています。
本当の「ありがとう」が分かるまで、
苦悩し、懊悩しつづけなければなりません。
世の中には、身体に障害をもったり、貧苦にあえいだり、
憂苦と懊悩に満ち満ちて、
不幸のどん底に地を這いながら生きている人がいます。
恵まれた人たちは、その姿をみて「可哀想に」と思いつつも、
「私はそうはなりたくない」と本心では思っているはずです。
ところが、本メルマガでも紹介した
岡田虎二郎先生はこんな言葉を残しています。
「病気その他一切の苦痛の多い人ほど、
神の恵の大きい人である。
悲しむどころか、大いにお祝いせなければならぬ」
私自身も地べたをはいずり廻っていた時期があり、
その頃に、この言葉に触れたものの真意が理解できずにいました。
なんとか今になって心が開け、
その言わんとすることを理解できるようになりました。
この人たちは本当は「幸運な人」なのです。
「有り難い」は「有り難くない」の相対であり、
「有り難くない」ということを知るがゆえに
「有り難い」ことを覚(さと)ることができます。
「有り難い」を知るためには、
必然的に「有り難くない」ことを味わわなければなりません。
「有り難くない」ことが多ければ多いほど、深ければ深いほど、
その裏には高く広々とした「有り難い」が必ず存在しています。
これは経験してみないとわからないことかも知れません。
経験してみると「有り難くなかったこと」が実は「有り難かった」
ということに気づくはずです。
「ありがたい」「ありがとう」「ありがとうございます」には、
ものすごく高い言葉の波動があります。
この言葉を発するとき、必ず清められるものがあります。
「あいつのここが悪い」「あの人が私を認めてくれないから」
「あの人が悪い、私は悪くない」
不運で恵みの少ない境遇の中には、
必然的に「ありがとう」という言葉が不足しています。
そのことに気づかずに他人ばかりを責める。
そして自分に「ありがとう」の気持ちがないことに全く気づかない。
今の境遇を創り出しているのは、誰でもない自分自身だということを自覚せず、
すべてを他人のせいにしてしまっています。
こうした境遇を創り出すのも、
この世に満ち満ちた消極的観念、消極的言葉の泥水に生きていれば
しかたのないことです。
まず、そうした世界に生きていること、その事実を自覚することが第一歩です。
そして積極的に「ありがとう」を発してみてください。
嫌な相手に「ありがとう」を言うのは勇気がいるかもしれません。
それでも勇気を出して発した瞬間、何かが大きく変わるはずです。
確かに相手が変わります。
そして何よりもあなた自身が変わったことに気づくでしょう。
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