幸田露伴からの伝言
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18 幸田 露伴(こうだ ろはん)1867〜1947
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小説家。本名成行(しげゆき)。
はじめ雅俗折衷体による男性的・理想主義的作風で、
尾崎紅葉とならび称されたが、のち、
博学を駆使して史伝、考証、評釈にすぐれた仕事を残した。
代表作に小説『風流仏』『五重塔』『運命』など。
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注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント
■ 天地は広大であるが人の心の中のものに過ぎぬ。
古今は悠久であるがやはり人の心の中に存するものである。
人の心は一切を容れて余りあるものである。
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◇皆さんの身の回りを見渡していただきたい。まず、目の前にコンピュータ、
モニタがあるはずである。机があり、イスがあり、足下にはカーペット・・・。
これらはどこからやってきたのであろうか。どこからって? 決まっている
だろう、お店で買ったんじゃないか。
それでは、お店にならんでいる商品はどこからやってきたのであろうか?
これまたくだらない質問。製造会社からに決まっている。製造会社で作った部
品を組み合わせたものだ。
それじゃ、その商品のデザインは、部品は誰がつくったのか? 決まってい
るさ、人間じゃないか。何をばかな質問をするんだ。
しかし、よく考えて見よう。そのデザインや部品は、悠久の昔から存在して
いたものかい? そうじゃないよね。すべて人が考えたものさ。ある意味「心
の産物」といえる。
ということは、目の前のコンピュータもまた、初めに存在していたのは「人
間の心の中」ということになる。幸田露伴は「天地も古今もまた人の心の中の
もの」であるという。人の心がなければ、すべては存在しないということにな
る。確かに見る人の心境によって、風景が違って見えることを思えばこれもま
た納得できるであろう。
6月22日、大阪のとある場所で、僧侶であり、芥川賞作家の玄侑宗久さん
の講演会に参加した。玄侑さんは本メルマガの「夏目漱石からの伝言」でも紹
介したので、記憶も新しいと思う。
http://www.kojobunko.net/column/21seiki/15message.html
NHK「ようこそ先輩 課外授業」の画面で見たあの人が、目の前にいるとい
うのは、なんとなく感激するものである。
芥川賞を受賞した『中陰の花』を買ってサインしてもらったときに、私の拙
書・冊子『幸せ伝染病―書いてあなたは癒される』と『そのままでいい その
ままがいい みんな違って みんないい』を手渡した。
すると『幸せ伝染病―書いてあなたは癒される』は、ネットサーフィンして
いるときに、ホームページを見つけ、すでに読んでいただいているとのことで、
びっくり! ネットのすごさを体感した。マスコミを使わずに、個と個が結び
つく時代に突入したんだなあと思った。
http://www.kojobunko.net/column/kaite/kaite.html
講演の内容としては「心って何なんだろう?」という話だったと思う。
皆さんにも問うてみたい。「心って何なんだろう?」
講演会の中でお話しいただいた内容で、こんなコメントが心に残った。
父母の父母は2×2で4人、そのまた父母は4×2で8人、こうして父母、
祖父母、曽祖父母と10代さかのぼってみると、先祖は1024人となる。も
っともっとさかのぼると天文学的な数字になり、平安時代初期(約1200年前)
までさかのぼると1兆人を超えてしまう。
そう考えると、あたなと私の先祖は間違いなく重なっている。みんな繋がっ
ていると言ったほうが分かりやすいだろうか。その中には、いい人ばかりとは
限らない。富豪もいれば乞食もいるだろうし、僧侶もいれば殺人者もいるだろ
う。ずいぶんたくさんの先祖がいるはずである。
その人たちの遺伝子をわたしたちは引き継いでいるということになる。遺伝
子の95%は眠っていると言われているから、本当はもっともっと個々には、
とてつもない奥行きというものが存在しているはずである。その奥行きの中に
は、すばらしい可能性もあり、また危ない可能性も持っているはずだ。
乞食にも富豪の遺伝子情報は含まれているだろうし、善人にも殺人者の遺伝
子情報が含まれているのである。
ところが、私たちは何か自分というものを限定したくなる。自分はこんな人
間だと決めつける。というよりも、決めつけなければ苦しくて生きていけない。
しかし、私たちが「自分はこんな人間だ」と宣言することは、小さく凝り固
まることであり、可能性をも限定してしまうことになる。悠久の昔から先祖が
長い間に蓄積してきた情報の、ほんの一部を自分だと決めつけているのである。
例えば、「この2週間、私は不幸だった」と言ったとき、2週間の中のいろ
いろな出来事の、不幸な部分だけがピックアップされて、「不幸だった」と言
っているだけで、よく観察すればそれ以外にもいろいろな出来事が間違いなく
存在していたはずである。
例えば、朝御飯はおいしかった、晩御飯もおいしかった。今日の髪型は可愛
いと言われてうれしかった。週末に観た映画は楽しかった、といった出来事も
あったはずである。しかし、「この2週間、私は不幸だった」と決めつけたと
き、いろいろな出来事に含まれた残りの情報を切り捨て、不幸な自己のみを限
定してしまっていることになる。
だれもが単純に自分を決め、自分だけならまだしも他人をも「あの人は○○
な人だ」と決めたがる。決めずにはおれない。自分の範疇で理解できない人、
判断できない人の一部だけを観察して「○○は〜な人だから」と決めつけたこ
とはないだろうか。
「私は恵まれていない」と宣言すると、長い長い気の遠くなるような祖先か
らの情報の中の、「恵まれていない情報」だけをピックアップすることになる。
するとピックアップされた情報どおりの現状が展開される。
小さく凝り固まるなんてもったいないことである。私たちの中には、自分で
思っている以上のとてつもない情報が眠っており、いつも引き出せる状態にあ
るのに。
今日のあなたは、過去の膨大な遺伝子の、どの情報をピックアップして、今
を生きているのだろうか。
心しだいで、いつでも差し替え自由である。
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