志賀直哉からの伝言
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20 志賀直哉(しが なおや)1883〜1971
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小説家。宮城県生まれ。『白樺』創刊以後、中心作家として活躍。
大正中期より『城の崎にて』『和解』などの自伝的、心境小説的作品をてがけ、
昭和12年には大作『暗夜行路』を完成した。
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注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント
■ 宗教でも、自分が凝ると、他を信じている者は、
皆異端者だと云う事になる。
そういう狂信は、人間を不幸にする。
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◇本号は、私なりの偉人研究の仕方をお伝えしたいと思う。
最近は書店に行くと、偉人、伝記、フィクション、ノンフィクションも含めて、
本当に膨大な研究、情報というものが散乱しているが、さて、闇雲に読むだけ
でいいのかどうか。そのあたりを私なりに最近見つけた人物研究の仕方をご紹
介したいと思う。ご参考になれば幸いである。
まず研究題材には、「経書」と「史書」というものがある。経書を縦糸、史書
を横糸。または経書を経線、史書を緯線と見ていただければ分かりやすいかも
しれない。経書とはその教えの源流を連綿と流れている本流のようなもので、
教典、経典などはこの部類にはいる。史書とは偉人たちの辿ってきた事績、生
きざまといった歴史書、文献などである。
ここで読者の皆さんには、まず頭の中で縦線と横線を交差させた構図をイメー
ジしてほしい。そして横に「史書(偉人の事績、生きざま)」を当てはめ、縦
に「経書(偉人が学んだ哲学、信念)」を当てはめてみる。
横線は、偉人たちが辿ってきた事跡のようなもので、あの時ああした、こうし
た、こんな実績を残した、という具体的な行動とその生きざまが刻まれている。
そして縦線には、その偉人の思想、哲学というものが刻まれており、これは視
覚では感じとれないものであるが、これあってこそ偉人の行動が生まれた、い
わば行動規範のような存在である。
偉人を学ぶということは、横線だけでもダメで、縦線だけでも不十分である。
宗教家、哲学者、教育者と呼ばれる人は、どちらかというと縦線に片寄ってい
る人が多い。また、実業家、事業家という人は、どちらかというと横線に片寄
っている人が多いのである。
この縦、横が相まってバランスがとれた人こそ、聖人であり、哲人であり、達
人と呼ばれる人になる。
さて、ここまではご理解いただけたであろうか。
読者の皆さんの中にも、学者顔負けの偉人研究をされている方がおられると思
う。この偉人を語らせたら、他に引けをとらない偉人研究。これはすばらしい
ことである。しかし、縦横のバランスを絶妙に研究することは本当に難しい。
ここでひとつ質問。皆さんは何のために一所懸命に偉人研究をするのであろう
か。ご自身の胸に手をあててよく考えてみてほしい。研究することで物知りに
なること? 実践に役立つこと? 話のネタ?・・・
ここからがとても重要なのである。結論から言っておこう、偉人の縦横の構図
に学ぶということは、実は、自分自身の縦横の構図を見出すための行程に過ぎ
ないのである。そうである、それは自分自身に与えられた縦横の構図を発見す
るためなのである。誰もが縦横の構図を内に秘めている。縦という信念、思想
が、横という現実を創り出している。
ところが、多くの偉人研究家たちは、偉人の教えをつかむことばかりに夢中に
なって、肝心の自分自身というものを見いだせないこと多い。どうすれば自分
の縦横の構図が見えるのか。それは、今まで学んできた偉人の知識を時機をみ
て惜しげもなく手放す必要があるのである。手放したとき初めて自分の縦横の
構図が現れる。
どんな教え、学問、宗教、哲学にしろ、学ぶということ、「つかむ」というこ
とは「型にはめる」ということであり、型にはめるということは同等の「縛り」
が存在する。真理をどんどんつかんでいくその裏には、気づかないうちに「縛
り付けられる」ことにもなる。だから一つの教えのみに片寄っている人は、狭
くて、窮屈で、融通のきかない人が多い。だから、「放す」ということがとて
も重要なのである。
ところが、「放す」ためには、つかまなければならない。つかんだものがなけ
れば「放す」こともできないのである。ここらあたりがとても難しいところで
ある。
仏教には「色即是空」「空即是色」という教えがあるが、つかんだ「色」すな
わち知識を一度放すことによって「空」にする「色即是空」することになり、
その「空」こそが自分自身に与えられた「縦横の構図」なのである。
その「空の自分」から発する創造力によって生み出される智恵こそ、真の「色」
ということ、すなわち「空即是色」が成立する。
一流、大家と呼ばれた人は、例外なくこの行程を経て、初めて自由な創造活動
ができる存在になっているのである。膨大な学び、すなわち先人たちの縦横の
構図(基礎)に学び、そして「真理を悟った」ときには、学んできた先人の縦
横の構図は必要のないものになっている。
そこには自分自身の縦横の構図を見出しており、この状態から偉人を説くとき
には、すでに偉人と自分は一体であり、偉人を説いているようで、実は自分自
身を説いているのである。
「つかんだ」と思ったら、すぐに「放す」。つかんで放す、つかんで放す・・・。
これをスピーディに行うことができたら、人体と一緒で新陳代謝が早くなり、
すべてが活性化され、なんにもとらわれない真の自由人となるのである。
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