森鴎外からの伝言
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21 森鴎外(もり おうがい)1862〜1922
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小説家、翻訳家、軍医。島根県の人。陸軍軍医となりドイツ留学。 
留学中、西欧文学の素養を深め、翻訳・評論・創作に旺盛な活動を示した。
晩年は歴史小説・史伝に健筆をふるった。
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              注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント


■ 自利の最も高きものは利他と契合(けいごう)すること、
 譬(たと)えば環(たまき)の端(はし)なきが如(ごと)し。


 

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◇世の中の価値観がゴロゴロと音を立てながら変わりつつある。

先日、大阪で行われた「地域通貨」のトークイベントに参加してきた。「地域
通貨」という名前は時折耳にはしていたが、かなり興味深い内容であった。

9月6、7日と連夜放映された「北の国から2002遺言」を皆さんはご覧に
なられたであろうか。38%を超える高視聴率だそうだ。私は残念ながら前編
を見逃してしまったが、後編はビデオにとってしっかり見た。21年もの長き
にわたり、北海道富良野を舞台に展開したドラマがエンドレスを迎えた。

脚本の倉本聡は、間違いなく新しい時代を読み、そこにこれからの生き方、あ
り方をメッセージとして残していることに皆さんは気づいただろうか。まさに
「北の国から」のメッセージと「地域通貨」の理念はまったく一緒なのである。

いよいよ資本主義というものの価値観が行き詰まり、水面下で新しい価値観が
動き始めているが、「地域通貨」というものもその一端を担っている。「地域
通貨」とは一体どんなものなのか。要は個人の持ち物、能力、時間を、互いに
物物交換する。「信頼」という架空の貨幣のもとにやりとりするというもので
ある。

「北の国から」の一場面に、黒板五郎(田中邦衛)が遺言を書くシーンがあっ
た。しかし、五郎は遺言の書き方さえ知らない。そこである先生に教授しても
らうことになる。自宅に伺い教示してもらう。別れ際に五郎はお礼はどれくら
いすればいいかと尋ねると、先生は五郎の廃品でつくり上げる家のすばらしさ
を絶賛し、ぜひとも家のつくり方を教えて欲しい、ということで、お互いに弟
子入りして教えあうことになった。

また、ある旅行者が家づくりの現場に出くわし、五郎と親しくなって一泊させ
ることになる。旅行者の男性は地元の人たちが協力しながらの家づくりの現状
を見て、日当、報酬はどうなっているのかと尋ねる。五郎は「労働は労働をも
って返す」のだと答えた。

こんなシーンもあった。農場経営の失敗で多額の借金を負った純(吉岡秀隆)
は数年前に富良野を離れたが、返済が滞っていた。債権者のおじいさんは倒れ
て寝たきりになっている。そこへ純は詫びをするために尋ねるのだが、おじい
さんは純をおおいに歓迎し、再会をよろこんだ。純が必死に返済を誓うときに、
「とんべん、とんべん」、おじいさんはもう我慢も限界だから、小便をとって
くれという。純はしびんでもって小便をとってあげ、濡れタオルでおじいさん
の手を拭いて上げた。おじいさんは涙を流しながら喜ぶのである。純は、おじ
いさんを毎日でも見舞うことを決意する。

私たちは、なんでもお金でけりをつけるという、ある意味クールな方法で生活
を展開しているが、もともとの人間の存在に立ち返ったとき、「生きる」とい
うのが原点であり、いかに生きるかという方法はあとからついてくるものであ
る。お金というものも生活上の利便性を考えて造られたものだが、いつしか
「生きること」はお金を儲けることというような価値観になっている。

私たちの原点はまず「生きる」ということであり、そして「いかに生きるか」
という工夫が生まれる。その生き方は、中心に何をおいて生きるかというその
人の価値観によって変化する。

「自分」というものを中心におくならば、他よりもより多くを得る、他よりも
優位に立つという構図が生まれる。「自分」ではなく「みんな」というものを
中心におくならば、他を利する、他に与える、他とともにという構図があらわ
れる。

生きるという縦線と、いかに生きるかという横線、その交点が「自分」となる
か「みんな」となるかですべての価値観が変わってしまう。

「地域通貨」というものにも、100人100様のとらえかたがあるが、もし
中心に「自分」というものを立てれば、いかなる緻密なシステムを構築しても、
根底は資本主義と同様のものとなってしまう。資本主義の行き詰まりは、こう
した自分というものを前提においたことへの行き詰まりでもある。

これからは「何を得られるか、何を奪えるか」ではなく、「何をしてあげられ
るか、なにを与えられるか」を優先する時代がくる。貨幣がいらなくなるとい
うのが「地域通貨」の最終目的であるともいえる。

「地域通貨」がすばらしいのは、国という大きな単位でなく、信頼さえあれば、
明日から友人、知人同士でも始められるものである。すでに多くの「地域通
貨」が機能し始めている。

「北の国から」は、まさにそのひな形のような生き方であり、それが不可能な
ことではなく、また人間が「生きる」ということはどういうことなのかを教え
てくれている。
ラストの遺言の場面に五郎のこんなセリフがあった。
「金を望むな・・・幸せだけを見ろ! ここには何も無いが自然だけはある・・・。
自然はおまえらの死なない程度、十分・毎年食わせてくれる。」

「北の国から2002遺言」で、倉本聡は新しい時代のあり方をえがき、そし
ていかにこれからの時代を生きるべきかをドラマという形で表現してくれた。
五郎の遺言は、これからを生きる私たちへの倉本聡自身からの遺言でもある。



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 「志賀直哉」から「縦」とか「横」とかいう表現を使っていますが、
 これからも頻繁に使っていくのでここで簡単に説明しておきますね。

 ぼくはこれを「神のモノサシ」と呼んでいます。
 何にでもあてはまります。
 「縦」に原理原則を当てはめ、「横」に現状、変化をあてはめます。
 「縦」が比較を絶した世界、
 「横」が比較の世界といった方が分かりやすいでしょうか。
 その交点に立つのが私たち「人」です。

 縦に片寄っても、横に片寄ってもダメで、
 私たち人間は、縦横のバランスのとれた、
 完全円満なるまん丸な様相を創り出すのが目標です。
 その交点に上手に立つことなんですね。

 理想ばかりでもダメ、現実ばかりでもダメ、
 すべての善きものを見て、聞いて、読んで、味わって、
 そして絶妙なバランスをとります。

 すると「みんな違って みんないい」それぞれの、
 縦横の構図が醸し出す球体のような人間になれるわけです。

 この「神のモノサシ」をいつも頭の中に描いて行動してみてください。
 たいていのことは簡単に解決がつきます。

 また、議論が合わないときには、このモノサシをお互いに確認しあい、
 そしてもう一度話し合ってみてください。
 間違いなく簡単に結論が出ますから。

 「神のモノサシ」の使い方は、分かってしまえば簡単ですが、
 この説明だけでは理解できないかたは、
 これからいろいろな事例を上げていきますので、
 徐々に身に付けていただければと思います。


                   ありがとうございます




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