坪内逍遥からの伝言
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22 坪内逍遥(つぼうち しょうよう) 1859〜1935
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小説家、劇作家、評論家、英文学者。美濃国(岐阜県)出身。
明治18〜19年『小説神髄』を発表。
シェークスピアの研究にも力を尽くした。
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              注)■は偉人の言葉 ◇は筆者の解説とコメント


■ 人間には肉体の生れ故郷の外(ほか)に、 「心の生れ故郷」
 ―其(その)思想や心の癖やを育てて貰(もら)った故郷―
 というものがある。


 

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◇『論語』という古典の中で、季路が死について尋ねたら、孔子は「生きるこ
ともわからないのに死についてわかるはずなかろう」と答えたが、皆さんは、
「生まれ変わり」を信じるであろうか。私はけっこう信じている。信じたほう
が生きるのが気楽である。

 生まれ変わり、輪廻転生というものがあるとしたなら、今生というものは今
回のみ限定されたものであるといえる。この限定とは「宿命」というものであ
る。

 今時の若い子らに説明するなら、この世はテレビゲームのようなもので、野
球ゲームソフトで遊ぶか、ゴルフゲームソフトで遊ぶか、どのゲームソフトで
遊ぶかを決めることが宿命というものである。野球ゲームでゴルフゲームがで
きないように、あの人の人生を私が生きることは不可能である。

 さて、このゲームソフトには限りないほどの行動パターンともいうべきデー
タがセットされている。操作レバーをいつ動かすのか、また操作ボタンをいつ
押すのか、その瞬間、瞬間の選択によって、勝者になるか敗者になるかが決定
する。この選択は自由に意思することができる。これが「運命」である。宿命
は変えることができないが運命は自分の意志で決めることができる。

 私たちの人生ゲームもまったく同じ構造になっている。その選択肢ともいえ
る運命には二つの選択基準がある。一つは「良心的で、愛のある、前向きな選
択」。もう一つは、「良心的でない、愛のない、前向きでない選択」。

 どちらの選択をするのも自由である。しかし、選択によって人生はフローチ
ャートのようにあるゴールへと向かう。もしかすると選択によっては「富豪」
と「ホームレス」ほどの違いを生み出すかもしれない。しかし、どちらの選択
もオーケーである。人生は学びであり、遊びであり、生まれ変わりを繰り返し
ながら賢くなっていくのだから。

 どうであろうか、生まれ変わりを信じると、けっこう楽に生きれそうにない
だろうか。たかが人生ゲーム、されど人生ゲームである。

 人は「ゼロ」に生まれ、「ゼロ」に死んでゆく。人生=ゼロである。いろい
ろなことを足したり引いたりしながらも、結局死ぬときはゼロに精算しなけれ
ばならない。肩書きも財産も、あの世には持っていけない。しかし、残るもの
がある。それはその人の生きざまであり、思い出であり、なによりも魂の成長
である。これで充分。

 欲を出して、子孫に財産を残してやろうなどと考えると、プラスのままあの
世にゆくことになる。すなわちプラスをマイナスしてゼロにする作業を放棄し、
それを子孫に任せたことになる。

 結果的には子孫のことを思いながら、実はマイナス作業の苦を押し付けたこ
とになる。くれぐれも欲をかかず、あの世にゆくときにはさっぱりと「ゼロ」
で行きたい。

  願わくは花の下にて春死なむ
        そのきさらぎの望月の頃  西行 





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